I wish と I hope

EXILEの「I Wish for You」という歌をテレビで聞いていて、ふと「ネイティブの英語圏の人が、このフレーズを聞くと違和感があるかも」と思った。(歌としての評価では全くなく・・・)というのは、wishとhopeはともに日本語に訳せば「願う」という意味なのだが、wishには「現実に反した状況を願う」という微妙なニュアンスがあるから。


文法的には、このことを「仮定法」というが、例えば「I wish I were a bird」という、仮定法の見本のような例文がある。これは、(私は鳥ではないが)鳥になりたい、という意味があり、暗黙的に私は鳥ではないということの暗示がある。
ここで、冒頭の「I wish for you」に戻ると、このフレーズには「(現在はうまくいっていないが)将来的にあなたが幸せになることを願う」もしくは「(おそらく幸せにはなれないのだが)あなたが幸せになることを願う」といった感じのニュアンスになる(と思う)。


こういった、辞書的な意味には現れない「ニュアンス」というのは、外国語を学ぶ際には非常に難しいものの一つである。各言語が持っている文化的なバックボーンのようなものを、反映しているところもあって、非常に面白いものでもあるが。


逆に、日本語にも欧米圏の言語では説明しづらい「ニュアンス」がいくつもある。「私」と「僕」の違いを、欧米圏の人にわからせるのは非常に困難だと思う。欧米圏の文化では、人称は、「それが誰を指しているのか」にしか力点が置かれていないが、日本語ではその場の雰囲気や、相手と自分との関係を人称にこめることができる。
これもまさに、文化的なバックボーンの違いなのだろう。