メッセンジャーは悪くない

元米国務長官コリン・パウエルが何かの講演で「Don't shoot a messanger」と語っていたのをふと思い出した。意味は文字通り「報告者を責めてはいけない」ということだが、最近自分自身が報告者にきつく当たってしまったことが何度かあった。


自分にとって望ましくない報告を受けたとき、どうしても感情が高ぶってしまい、その感情を報告者にぶつけてしまいがちになる。だが、報告者は単にそれを伝えるよう言われただけで、報告の元となる事象には何ら関与していないことも多いし、ときには伝える義務がないのに善意で報告をしてくれることもある。その人に対して、さもその事象の責任があるかのように当たり散らすことは、報告者の敵意をかきたてることにもなり、またより困ることに、次回から報告者が悪い事象を伝えるのを避けたり、事実を少しねじ曲げて報告するようになってしまう。


報告の場合において顕著だが、同じことは多くの人間が絡む仕事でよくある。例えば、自分が突然締切が迫った仕事を振られたとき、その憤りは仕事を振ったその人に向くが、実はその人もその前の人から締切間際で振られただけで、その人としてはどうしようもなかったかもしれない。
感情が直接の相手に向いてしまうのは多少止むを得ないが、どこかで理性的に背景や本質的原因を想像するようになっていければと思う。


僕のところに報告に来た人も少し可哀想だったが、三国志などの歴史書を読むと、領主の意向を伝える使者の少なからずが、相手に殺されている。たとえちゃんと務めを全うして生きて帰ったとしても、大して評価はされないし、今も昔も報告者は報われない仕事だったのだな。