女性的とかけて

相手が男性でも女性でも、ときに「女のようなものの言い方だな」とか「この人は女性的な性格だな」と思うことがある。多少差別的な表現であるのは間違いないが、女性が男性を見るときにも「女っぽい」と思うことがあるようなので、ある程度の共通認識は得られている表現なのだろう。


では具体的にどういう振る舞いや性格が「女っぽい」のか考えてみると、その一つは何かうまくいかない現実や起こった問題に対して、whyが前面に来るということのような気がする。この対義語(おそらく「男っぽい」ではない)があった場合に、それが示す意味はhowが前面に来ることだと思う。「なんでできないの?」「なんでこんなことになったの?」と喚き散らされた経験は誰しも少なからずあるはず。もちろん原因を考えることの意義を否定するつもりはないが、howの対策を立てるために原因を考えるのと、原因追及自体が目的化しているのは全く異なる。


男尊女卑の時代には、男性はただ威張っていただけではなく、問題が起きたら何とかするという責任を負っていた。その裏返しで、女性は問題解決を男性に依存するという文化や風潮があり、その名残が「女っぽい」という表現に繋がっているのではないかと思う。


本来、完全な意味での男女平等というなら、女性は権利や発言力だけでなく、問題解決などの責任も引き受けなければいけない。だが、世の多くの女性はある程度の権利を求めつつも、問題の解決は男性が担って欲しい、担うべきと思っている。それが、男性の側からすると「女は結局これだから・・」という見方に繋がってしまう。そういう意味で、本気で男性と対等にやり合いたいと思う女性の一番の敵は男性の見方ではなく、「女性的」な女性自身なのかもしれない。