目線のベクトル

ロンドンオリンピックも終わってしまったが、ああいう大会でのサッカーのように開催期間が長い競技だと、つくづく一喜一憂してしまうものだなと思う。男子サッカーがエジプトに圧勝したときには、ブラジルとかならまだしもメキシコくらいは余裕で勝てるのではと思ってしまったが、いざ一回負けてしまうと、韓国が相手じゃ厳しいかなという風に思ってしまった。


どこかの地方に、今上り坂なのか下り坂なのかよくわからなくなるという道があるが、それは自分の目線が上り坂では上向きになって、あたかもそれが水平のように感じてしまうからだという。それと同じで、上り調子のときにはその延長線に物を見るから楽観的になり、下り調子のときにはその逆のことが言えるのだと思う。


それ自体は、人間の普遍的な性質で、そうした楽観的な勢いや悲観的な反省が役に立つこともある。ただ、どこかで絶対的な水平感覚というか、自分の目線が水平に対してどれくらい傾いているのかを把握する感覚も必要だろうと思う。


上方向の目線が高まり過ぎた一つの結果が日本の太平洋戦争で、下方向の目線が落ち過ぎた結果が今の日本のような気がする今日この頃。