アクセルとブレーキ

動くものにはアクセルとブレーキが付いているが、アクセルだけでブレーキがなければ止まれないから意味がない、ブレーキだけでアクセルがなければ走らないから意味がない。
だからどっちも大事、というのは子供でもわかる話なのだが、究極的にどっちの方が大事かといったらアクセルなのだと思う。ブレーキはどんなに重要であっても、アクセルがあってこそ意味があるから。


と禅問答みたいな話になったが、何か物事を進めるうえでもアクセル役とブレーキ役というのがいる。何かを売ったり作ったりするのがアクセル、やり方をチェックしたり管理したりするのがブレーキにあたるが、ブレーキ役が目立ったり偉そうにするといいことがないと思う。先に書いた通りブレーキというのはそれ単体では存在意義がないので、いかにアクセルを生かせたかということで評価されるべきである。だが、世の中や僕の身の回りでも、「こんなに強力なブレーキの仕組みを作った」とか、「ダメな点を見つけてブレーキを踏んでやった」といったことを誇る人が結構多い。


ブレーキ役は強力であることに意味があるのではなく、アクセルの力に合わせることに力量がある。軽自動車にレーシングカーのブレーキを積んだら走りにくいだけだし、同じ車でもサーキットを走るときと街乗りをするときでは、ブレーキのかけ方を変えないとうまく走れない。極論すればアクセル役はとにかく全力を出せばいいが、ブレーキ役はその推進力や状況に合わせて制動力をコントロールしてあげなければいけない。


一般にアクセル的な仕事の方がクリエイティブだと思われるが、ブレーキ役の仕事もそういう微妙なコントロールをしようとすれば、とてもクリエイティブな仕事になる。いつでもフルブレーキングするような人は、困り者以外の何物でもないが。