悲痛な映像を流す意味

震災発生以来、テレビでは連日、津波で家が流される映像や被災者のインタビュー・ドキュメンタリーなどを流している。そのことに対して、「そんな悲痛な映像を流し続けることに何の意味があるのか」という批判も多い。


ただ、あえて「もしも悲痛な映像が流されなかったら」と考えると、被災地以外の人達がここまで義援金を出したり、救援物資を送ったり、といったことはなかったのではと思う。節電という多少の不自由を、ほとんどの人が快く受け入れているのも、「あれほど被災地はつらいのだから」という思いがあるからこそ。


やはり、単にアナウンサーの言葉で「みんなで協力しよう」と言われるよりも、悲痛な映像の持つインパクトというのは強い。
マスコミの報道で問題なのは、悲痛な映像を流し続けることそのものよりも、その映像で何を伝えたいのか、というコンセプトがあまり見えてこないことだと思う。どうしても、よりインパクトのある映像やコメントを追い求め、それを単発的に流している印象が拭えない。


コンセプト不在というのは、マスコミだけでなく、政治や多くの日本企業でも言われていること。今回の災害をバネに、そういったことも少しずつ変えないといけないなぁ。