適用基準を明確にするということ

梅田望夫さんのブログにとても共感できる話があったので、ちょっとそれを紹介。

「しないこと」を決めるときに、「大切なことは夜に判断しない」というのは全く意味がない。なぜなら「大切なこと」という基準が曖昧なために、これは大切だからいいやという逃げが可能になってしまうからだ。
「テレビは見ない」のように妥協の余地がまったくなく、「しないこと」が自動的に判断できるものでなければいけない。

My Life Between Silicon Valley and Japan:「しないことリスト」で考えてほしいこと ※上記文章は内容の一部を要約したもの)

これは「しないこと」を決めるときだけでなく、ルールや目標を設定するときにも必ず意識しておかなければいけない内容だと思う。特にルールの適用基準が明確でないと、せっかくルールを事前に作って判断を迅速にできるようにした筈なのに、「今回の出来事はルールの基準に当てはまるのか」という余計な議論が起きることになってしまう。

僕は大学で法律を専攻していたのだが、法律の文章は適用基準が明確でないものがかなり多い。日本の法律思想が、基準をある程度緩やかにしておき、その後判例を積み重ねて基準を作っていくというものであることにもよるのだが、それにしてもちょっと曖昧すぎると思う。

最近話題になった危険運転致死傷罪の条文を見ると、「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、(以下略)」となっている。
「正常な運転」とは何?「困難」かどうかをどうやって判断するの?といきなり突っ込みたくなってしまう。

国会は明確な基準を備えた法律を制定して、もしそれが誤っていたら裁判所は法律審査権を使って修正させるという流れの方が、わかりやすいし無駄がないと思うのだが、どうなんだろう。
普段仕事をしていても、「AとBどっちにしましょうか?」と言っているより「Aにしますが問題ないですよね」と言った方が早く決まるというのは、賛同者が多いのだけど。