生き方の描写

以前、東野圭吾さんの描写の巧みさに触れたことがあり、その中で物書きの世界では「説明」ではなくて「描写」をすべきと言われると書いた。その二つがもたらす効果の違いを厳密にはわかっていないのは変わっていないが、「描写」が重要なのは、小説を書くときだけではないかもしれないと最近ふと考えた。


改めて、説明と描写の違いを簡単に書くと、説明とは「彼は几帳面な人だ」と直接的に述べるのに対して、描写とは「彼の部屋のCDラックには、数百枚のCDがアルファベット順に整然と並んでいた」といったように、事象や風景を通して間接的に述べることである。説明が多い小説は、話は理解できても深みを感じたり、感情移入することが少ない。


小説ではなく、現実の世界で人と接していても、説明の多い人というのがいる。「俺はこんなに頑張ってるんだ」とか「私はこんなに心配している」とか。ただ、こうした説明は理解はできても、心に響いてこない。相手の心に響かせるには、何かに取り組んでいる姿とか本気で怒ったり誉めたりすることで、自分自身を描写する必要があるのではないかと思う。
もちろん、描写しようとしても伝わらないのではないかという不安は誰しもある。すぐにわかってもらいたいと思うこともある。しかし、その不安や誘惑に負けて自分の「説明」をしてしまったら、結局、自分の価値を落としてしまうような気がする。


最近、人の親になってみて、自分の親としての姿を描写していけたらなんて思う。それが伝わるのは何十年後か、もしくは伝わらないのかもしれないけど。