レビュアーの適性

もしも、あなたが絵を描いたとして、その絵をレビュー(批評)してもらうときに、絵を描けない人にレビューしてもらうことがあるだろうか。または、小説を書いたとして、小説を書いたこともない人にレビューしてもらおうと思うだろうか。
基本的に、そういうことはないと思う。レビュアー(批評する側の人)というのは、レビュー対象物を作成する能力があることがほとんどで、これは何かの設計やデザインなどでも同じだと思う。


この例外となっているのが、IT業界。ITシステムを作る際にも、設計書のレビューなどを頻繁に行うが、レビューする側の顧客企業などには、自分でシステムの設計書を書いたことがない人も多い。


自分で作れない人がレビューすると、どういう不幸が起きるかというと、その設計書などのドキュメントがどういう目的のためにあって、どういうポイントを押さえなければいけないか、ということが理解されないまま、局所的な指摘が起きる。レビュアーに指摘されたことは、基本的に対応しなければいけないので、その指摘に対応していけばいくほど、ドキュメント全体としての意味がよくわからなくなっていく。
例えば、プログラマーが仕様を理解して、デジタルなプログラムを作るためのドキュメントと、システムを使う人が仕様を理解して、システムの概要を理解するためのドキュメントは、同じようで全く違う。そういうことをレビュアーが理解していないと、そのレビューは百害あって一利なし、といったものになってしまう。


適性のあるレビュアーが少ない、というのはIT業界が成熟しない一つの要因だと、僕は思っている。このために、いつまでも先人の経験を活かすことができない状況が続いている。
ただ、レビューする側の人間は、小規模な案件でもよいので、ときには自分でドキュメントなりプログラムなりを書いた方がよいと思う。ダメ出しできる能力と、自分で一から作れる能力というのは、全く違う。