無料サービスにとっての利用者の存在とは?(2)

前回からの続きだけど、テレビやWebサービスなどの無料サービス事業者にとって、利用者がどういう存在なんだろう?という話。


多額の費用を伴う事業が無料(もしくは極めて安価)で提供できる裏には、「広告」っていうものがあることは広く知られている。


有益なサービスを提供すればそこに多くの人が集まる。そして多くの人が集まる場で、商品などの宣伝を行えば、その商品の購買回数が高まる。そういう価値があるので、スポンサーが広告料を支払うというビジネスモデルになっている。
これは最先端の技術集団であるGoogleでも、古くからのラジオ局でも変わらない。


だからテレビ局の番組は、たとえアナウンサーがあだ名で呼び合うことに数人からクレームが付いたとしても、そういったフレンドリーな雰囲気を好む人達によって視聴率が0.1%でも上がるのであれば、そのクレームには対処する必要はないし、すべきでない。


とすると、無料サービスにとって利用者とは?少数では意味がなく多数になってくれることで意味がある人々、?そこでの宣伝で購買回数を高められているはずの人々、という存在なんだと思う。そうでないと無料でサービスを提供する意味はない。


でもWebにおいて、この?って成り立っているのかな…。成り立たなくなると、どうなるんだろうってのは、ちょっとまた次回。


最後にまた余談だけど、広告を用いれば安くできるビジネスって結構あると思う。例えば104の料金案内とか。