司馬遼太郎名場面集(5) 劉邦に殺されかけた男の大弁論

今回は、司馬遼太郎の書いた数少ない中国史作品『項羽と劉邦』から、劉邦に殺されかけた男の大弁論。

(状況:漢帝国成立後、韓信劉邦の部下)に謀反をすすめた罪で、蒯通かいとう韓信の参謀)が捕らえられ劉邦の前に引き出される)


「おのれが、韓信に謀反をすすめたのか」
「わたしが教えたのです」
「しかしながら、かの小僧、わしの策を用いなかった」「韓信は一個の小僧だが、その中に不世出の軍才が宿ってしまった。雀の体に天山を征く鷲のつばさがついたようなものです」
「あの小僧は、陛下(劉邦)に対して忠信すぎたのだ。かれは自分のつばさの飛翔力が、もはや雀の忠信を必要としていないことを知らなかったのだ。私はそれを説いた。なぜ、鷲であることを思わないのか、と」


「要するにお前は人のいい韓信に悪知恵をつけ、わしに背かせようとしたのだ。お前の反逆、まぎれもない」
蒯通は、ちがう、といった。蒯通は狂ったように
「この舌の動くところを聴け」
と叫び、どのようにも煮よ、ただ陛下がこのわしを理にあわぬことで煮ようとしていることだけは弁じておかねばならぬ、といった。
「陛下、秦末、諸豪がむらがりおこって誰もが天下を望んだ。陛下もまたそのひとりでござった。いま陛下はさいわいに天下を獲られたが、このときにあたり、かつて天下を望んだ諸豪のすべてを反逆の罪によってこの釜にほうりこもうとなされるか」
「せぬ」
劉邦はこたえた。
「この蒯通は兵もなく武もなかったが、武をもつ韓信に天下をとらせようと思い、八方画策した」
「おまえもまた群雄のひとりだったというのか、お前は何人の兵をもっていたか」
「舌がある」
舌はときに剣よりもつよい、と蒯通はいった。


「古の大盗に飼い犬がいた。それが王に向かって吠えた。その犬をもって不仁であるとし、反逆であるとされるか。犬はすべて飼いぬし以外のものには吠えるのだ」
「お前は大盗の犬か」
「小僧の犬だ」


状況としては、単に自分の命乞いをしているだけなのだが、弁論として筋がしっかり通っていて面白い。たとえの用い方やユーモアの入れ方などもよく、こう言われるとなかなか返す言葉がない。


劉邦もこの弁論に負け、蒯通はこの後釈放された。だが蒯通にとっては命を救われたことより、弁士として自分が放った弁論が2000年以上も語り継がれて残ったということの方が、嬉しいに違いない。